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2016.1. 掲載
百人一首思い出しゲーム
あるとき、まる5時間の間、何もすることがない状況に陥った。大勢の人と机に向かった状態で、頻繁に席を外すことはできない。本を読んだり、居眠りすることは許されない。ましてパソコンやスマホをいじるなんてとんでもない。しかしノートや鉛筆はあるので、それらしく筆記作業をすることはできる。さて、どうして過ごすか。
いいことを思いついた。自分の記憶力の再チェックである。「小倉百人一首」を、できる限り思い出して書き付けていこう。
子どものころ、ごく普通の中流家庭に育ったが、大正生まれの必須アイテムなのか、両親とも正月には百人一首をたしなんでいた。私自身は小学校低学年までは「坊主めくり」で遊び、その後徐々にカルタ遊びを覚えていった。中学生のころには、上の句を聞けば下の句を思い出すことができるようになったと思う。高校のとき、古文の授業で副読本を読み、意味を初めて知った歌も多い。とはいえ、そんなに熱心にはまり込んだわけではなく、あくまで正月のヒマつぶし程度の付き合いであった。成人後はほとんど触れることもなかったが、子どもが大きくなるとまた引っ張り出して一緒に遊んだ。50歳のころ、高校生になった娘と対戦して完膚なきまでに負けてしまったが、これは視力と反射神経の減退によるものだろう。ここ数年は、子どもも忙しく、カルタの箱を開けることもほとんどない。
さて、そんな私が、何も見ずに頭の中から絞り出すだけで、どれだけの歌を思い出すことができるだろう。どんな結果が出ても恥をかくことはないので、始めてみることにした。
まずは「あ」で始まる歌から。となると、百人一首巻頭の天智天皇「秋の田の 仮庵の庵の 苫を荒らみ 我が衣手は 露に濡れつつ」を思い出す。続いて、子どものころから好きだった「天の原~」、さらに「有馬山~」「嵐吹く~」「あしびきの~」と続く。
しかし「あ」で始まる歌は多いなあ、と思ったとたん、母に教えてもらった1字決まりの歌の呪文?を思い出した。最初の1文字で、この歌しかないと決まる字が、百人一首にはいくつかある。こうした字を並べて「むすめふさほせ」という呪文が作られた。つまり、「む」なら「村雨の~」、「す」なら「すみのえの~」しかないわけである。「ほととぎす~」に苦労したが、ともあれこれで7首稼げた。しかもその他の字で始まる歌は、2首以上あるか、全くないかどちらかだから、今後のチェックに便利である。
再び「あ」に戻って「逢ふことの~」が出ると、「逢ひ見ての~」を連想する。ついでに「あ」で始まる歌から離れて「逢坂山」「逢坂の関」関係の歌を思い出し、逢坂から大阪を連想して「難波」「みをつくし」の出てくる歌を書き留める。連想が進んでもすぐに忘れてしまうので、とりあえず最初の5文字だけメモして、あとはゆっくり考える。連想が途絶えたらまた50音順に戻って頭を絞る。「君がため~」や「わたの原~」という2首ある歌はセットで思い出し、「月」「恋」「紅葉」「人」などのキーワードを含む歌は、いくつか思い出しても「もっとないか」と考える。
こうして全く退屈することなく5時間が経過した。書き留めた歌は約70首。ほかに断片のみのものが5首。なかなかよくできたというべきだろう。退屈しのぎの役は十分に果たしたが、こうなると欲が出て、もっと思い出して百首に近づけたいとの思いが募り、引き続き、電車の中などで考えることにした。カンニングは厳に自粛する。
「あ」「い」「う」の順に思い出す方法はもう終わりまでいってしまった。それでも思い出さないものは、「ああ」「あい」「あう」と2字単位でつぶやきながら思い出すしかない。「あい…みての、はもう済んだ」「あう…ことの、も済んだ」「あえ…ば別れがこんなにつらい、は演歌だ」「あお…『あをによし 奈良の都』だ!ちょっと待てよ、百人一首では『いにしへの奈良の都』だったっけ」という調子で、少しずつ成果があがってくる。「あは」で「淡路島~」を思い出し、歌枕(地名)つながりで「みかのはら~」や「音に聞く 高師の浜」などが出てくる。「田子の浦に~」は「白妙の」つながりで「春過ぎて~」のときに思い出してもよかったが、ここで出てきた。またこの歌が出ると、「みちのくの~」も出てきた。静岡県と東北ではかなり遠いが。
このころになると、書き留めた歌が増えてきたのに加えて、始めてから日数が経過したため、頭に浮かんだ歌が新規のものかどうかわからなくなり、ノートを繰って確認するのに手間がかかる。思い出した順にメモしたため、順不同になってしまっているのだ。2回調べても無いので、「やった!1首増えた!」と喜んだら、ふとしたはずみに既に書いているのが見つかったりする。
それでもじわじわと成果が上がり、90首近くになった。こうなると、完全制覇の望みが出てきて、さらに熱が入る。これまでに書き留めた歌を見て、連想する歌を探したりする。しかし、「世の中よ~」は早いうちに出てきたが、また、「見せばやな~」などの「海女つながり」もあったのだが、「世の中は 常にもがもな~」をやっと思い出したのは96首目だった。
あと二首というところまでこぎつけて、しばらく時間がかかったが、既出の歌を見ているうちに、「『月』の歌がまだあった!『夜半の月かな』だ。」と気づいた。上の句はなんだったかな、と必死で考えて、「心にも あらで浮世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな」を思い出した。あと1首、と思う間もなく、「ながらへば」の「なが」つながりで、「長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は 物をこそ思へ」が出てきた。ついに百首達成だ!始めてから5日目のことであった。
はやる心を抑えて、ノートを改めて読み返し、重複する歌や間違った箇所がないかを調べた。重複するものはなかったが、97首目に、「風さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは 我が身なりけり」と書いているのが気にかかった。風と嵐、同種のものが続けて出てくるのは歌として良くないんじゃないか。「花さそふ」だったかもしれないが、花と雪では季節が違う。どっちだったかとあれこれ考えているうちに、「風さそふ 花よりもなほ 我はまた~」という、浅野匠守の辞世とされる歌を思い出し、この歌に引きずられて自分は「風さそふ」と書いてしまったのだと思い至り、「花さそふ~」に修正することにした。思えばこの歌は、95首目の「山川に 風のかけたる~」から風つながりで思い出したもので、さらに98首目の「風をいたみ~」にもつながった歌である。「風さそふ~」だと思い込んでいたからこれらの歌を思い出せたわけで、けがの功名というか、とにかく僥倖であった。
さて、いよいよ答え合わせである。百人一首は底本により多少の違いがあるようだが、私は当然、慣れ親しんだ任天堂の百人一首で採点する。ただし、表記のうえで、漢字・仮名の違いは無視することにした。そこまで覚えているはずがないからである。
まず、些細な間違いがいくつかあった。いわゆる「歴史的仮名遣い」の間違いで、「絶え」を「絶へ」、「ゆゑ」を「ゆえ」と書いてしまったものなど、8首もあった。しかしこれらは、耳で聞いて覚えた者にとってはやむを得ないミスであると、自分を慰めた。
1字のみの間違いもあった。ごく初めに思い出した歌で、「逢ふことの 絶えてしなくば なかなかに 人をも身をも うらみざらまし」の5句目を「うらまざらまし」と書いてしまった。「うらむ(恨む、怨む)」という動詞の否定形は、古語では「うらまず」ではなく「うらみず」であったのだ。しかしこの歌に関しては、私は初めから「うらまざらまし」と覚えていたように思う。ちなみにこの歌に限っては、「絶えて」をなぜか正しく書いていた。
大きな間違い(といっても最初の5文字だけだが)があったのは次の2首である。
「思ひわび さても命は あるものを うきに耐へぬは 涙なりけり」
「恨みわび 干さぬ袖だに あるものを 恋に朽ちなむ 名こそ惜しけれ」
をそれぞれ、「恨みわび」「心わびて」で始めてしまった。初句の「わび」と3句目の「あるものを」が同じで、どちらも嘆いている歌なので、昔から混同してしまうことが多かったペアである。今回の数少ない間違いになってしまったので、これを機会に何とか正しく覚えたいとは思うが、10年後ぐらいにはまた間違えそうである。
間違いはこれだけだった。「花さそふ~」の歌も訂正して正解だった。私としては驚異的と言っていいほど、思いのほかの好成績だった。やはり若いころに覚えたことは忘れない、というのは真実のようだ。とりわけ十代前半が大事なように感じる。逆にそのころに間違って覚えたことは、今から直そうと思っても難しいことが多いようだ。
最近記憶力の減退を感じることが多く、昨日の夕食を思い出すことが出来なくて「大丈夫かいな」と不安になるような日々を送っている私にとっては、ともあれ自信を回復させてくれる有意義な「暇つぶし」であった。皆さんも、趣味や関心に合わせて、「環状線の駅名」や「四国八十八か所の寺院名」など、思い出しゲームにチャレンジされてはいかがですか。